大分県詩人連盟

〇受贈詩誌・詩集へのお礼24

プロ野球のオールスター戦も終わりました。
普段はライバル同士なのに、この日だけはチームメートという選手に対しても
ファンは温かい声援を送ります。それはとても微笑ましい姿です。
さて、今回も河野が読ませていただいた詩誌・詩集への拙い感想を書かせていただきます。
◆詩と批評「アルケー」15(アルケーポエム本舗・中原秀雪さん編集)
宇佐美孝二さんの詩を読むときには、しばしば「複眼」的な視野を意識させられます。
今号の『わたしである理由』は、自分を冷徹な目で客観視するという作品ですが
時間がずれているのに、空間がずれているのに、同じ様に見つめている私の目があります。
「背中に空の寒さを/かさね着して」の2行も印象に残りました。
硲杏子さんの『センセイの庭』は、最終連を読ませるために書かれたような詩で
読み終えると、気持ちがほんのりとぬくもってきます。
中原秀雪さんの、金子光晴に関する詩論の連載第4回は、パリへの往路で
上海に滞在した部分が中心ですが、当時の苦力(クーリー)などの様子に、
金子のパリへと向かう長い旅がパール・バックの『大地』と同じ時期なのだということを
改めて意識させられたことでした。
◆詩集「星を産んだ日」青木由弥子さん(土曜美術社出版販売)
沖縄という現代史や、生まれてきた子供を通しての命に
真面目に、正面からかわすことなく取り組んだ詩集だと思いました。
実は、読むにも体力が要りましたが、きっと読ませるにも体力をかけたことでしょう。
このような詩集のことを渾身の一冊というのでしょう。
『わたつみ』『胎動』『晩夏光』『領域侵犯』『炎天』など、心に残ります。
また、直接詩とは関係ないのですが、『鶴を折る』を読んで、
作品の中にも平和の象徴として出てくる千羽鶴が
いつから沖縄の中に溶け込んでいったのかということが気にかかりました。
◆詩誌「詩と思想」7月号(土曜美術社出版販売)
受贈詩誌と詩集についてのコーナーなのですが、振り返ってみると
自分で購入したものについても取り上げています。われながらいい加減だなあと反省。
「詩と思想」掲載の渋谷聡さんの『いずれは』に「病名を付ければ/病気になる」
という2行が出てきます。まさにその通りなのです。私も今日から人間ドックです。
帰ってくるのが明日の夜になるので、今回は1日早く更新します。
(河野俊一) 7.21 

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〇私の詩作

帆足本家
詩を幾ら描いたって、人生が変わるわけでも、お金が入って来るわけでもない。
詩が好きだから、描かずにはいられないから、描いている。
特に、苦しい時には自分を、癒すために描いているようなもの。
詩を描けば、精神的に落ち着き、癒される。詩は心の浄化作用を持っている。
楽しくてたまらない時には、詩作が出来ない。
苦しく、辛く、悲しく、切ない時に詩を描いて自分を癒している。
また、悩みや心の葛藤がある時、どうしょうもなく、やりきれない時、
誰にも相談したくない時、しても結果が出ない時など、自分のために詩作する。
更に詩には、社会に対して批評、評価する、言葉の力を持つ。
政治的な訴えを起こす力を持っている。正しいものは正しいと、過ちは過ちと、
ハッキリ言える言葉を持つ。
『ペンは力なり』という、何ものにも負けない、絶対的な力を持つ。
ペンを持つものの、社会批評は使命である。
もちろん、感動したり感銘を受けた時に、詩作したくなる。
また、ただ漠然と詩を描いたりもする。が、そういう詩は駄作が多い。
やはり、魂の叫びでないと良い作品は生まれない。
多いに葛藤、感動してこそ、人に感銘を与える作品となる。
ただ、描けというわけではなく、技術も、その次にくるもの。
叫べ、叫べ、喜びも苦しみも打ち放ち、感動する作品を残してゆこう。
※写真は帆足本家(大分市)
(和田みつる) 7.15

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〇部活動の顧問

2日の讀賣新聞の社説に、「教員の知識不足が指弾された」という見出しがありました。
今年3月の、栃木県那須町で高校生が雪崩事故で命を落としたことについての記事です。
顧問である教員の判断ミス、指示の不徹底、不十分な知識ということが
そこには書かれていました。そして書かれていることは、まさにその通りで、
反論の余地はありません。しかし、この記事を読まれた方々の中で、
どんな教員が顧問になっていたのだろうかということまで思いを巡らせた方は、
どれほどいらっしゃったでしょうか。
最近、部活動の顧問は無償のボランティアだということが、
マスコミにもあがって問題視されるようになってきました。
放課後の部活動の指導は、時間的にも残業に直結します。
教員は残業手当が出ない代わりに、一律4%の教職調整額がつきます。
4%を時間に換算すると、約20分です。
20分間だけの部活動など、まずありえません。
ですから「無償のボランティア」としか言いようがないのです。
しかし、ここではそれは横に置いておくことにして、
どんな教員が顧問になっていたのだろうかということを考えてみてください。
そこの学校に山岳部があれば、必ず山が好きな教員が在籍しているでしょうか。
そうではないのです。年度当初に特別活動の分掌が一番苦労するのが、
部活動の顧問の依頼と、予算の配分なのです。予算のことも後回しにしましょう。
さて、ちょうどそこの学校にある部活動に、それぞれの指導に長けた教員が
ひとりずつ在籍をしているでしょうか。いいえ、そんなことはありえません。
特別活動の係(多くの場合は主任でしょう)が顧問を依頼するときには
あちこちで頭を下げたり、無理を言ったりしているのです。
ですから、残業問題と逆行するかのように「教員一人一顧問」「全員顧問制」
などというおかしな取り決めができたりするのです。
「若いから」「今年転任してきたばかりだから」と、
希望とは違う部活動を持つようになった教員が、その分野のことを
一から一生懸命勉強しているのを何度も見てきました。
命に関わる今回のような事故では弁解の余地はありませんが、
そんな顧問に日頃の活動の中で、「判断ミス、指示の不徹底、不十分な知識」
という言葉を使うことがためらわれることも、しばしばあるのです。
(河野俊一) 7.8

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〇6月の文芸部

おはようございます。梅雨のさなかですが、週末になると晴れ間がのぞくので
団地のベランダは、どこも洗濯物でいっぱいです。
言いたいことだけを言って他者の言葉には耳をふさぎ、さっさと退散する。
今回の国会は、そんなイメージを残して閉会しました。
あの発言はどうなるのだろうか、というのが多すぎて、訳が分からなくなりそうです。
身の回りでもそれと似たことがあり、腹立たしい日もありました。
でも6月は、いいこともまたありました。
栃木で投稿詩の選考をされてらっしゃる石下典子さんが、
「栃木の人でなくってもいいので」と、私の学校の文芸部員に
投稿をうながしてくださいました。ひとり1作品ずつ書いて送ったのですが、
複数の作品が掲載していただけることになったようです。
図書カードや掲載紙とそれを挟んだクリアファイルまでいただいて、
部員たちは大喜びでした。そのうちの3人が8月1日から
恒例の全国高等学校総合文化祭に参加してきます。今年の開催は宮城県です。
文芸部門の会場は仙台国際センターと、久々に県庁所在地で行われます。
昨日の朝、サポートセンターからホテルの決定通知もありましたので、
月曜日からの期末考査中に、コンピュータを使うことで逆に煩雑になった
引率の手続きに、いよいよ取り掛かることにします。
生徒の方は1学期の期末考査が終わったら、新しい部長を2年生から選び、
3年生の引退を迎えます。来週の今頃は、
きっと新しい部長が決まっていることでしょう。
(河野俊一) 7.1

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○読み違える

083.jpg
おはようございます。昨日は「沖縄慰霊の日」でした。
宮古高校の上原愛音さんの朗読した自作の詩は
「目玉焼きのいい香り」で始まるありふれた朝に
72年前を思い起こす、という作品でした(『誓い~私達のおばあに寄せて』)。
若い世代の祈りや決意が伝わってくる作品でした。
さて、今日のテーマは読み違えということです。
読み違えというのは、必ずしも好ましいことではないのですが、
時に興味深い発見をさせてくれることもあります。
カタカナの言葉を急ぎで読み飛ばしている時などによく起きるのですが、
今日もある素材の名前を、放射性物質の名前に読み違えたりしました。
いえ、もしかすると読んで認識するよりも前に、
カタカナの単語を放射性物質のイメージの方向に
自分自身の何かが(例えば読書を始める前に、原子力発電所の
ニュースを聞いた、などということも)自分の意識を
引っ張って行っていると考えてもいいかもしれません。
もちろん実際に使われていたカタカナの単語は、放射性物質には関係ないのですが
そこに放射性物質の単語が入ってもずっと意味が通じて
(テーマが変わってくるので、もちろんタイトルはそぐわないものになりますが)
違う重みをもった作品として辻褄が合いそうになります。
作者が意図したものでない形が浮かび上がり、それを新たに受け止める……
意味を追って受け止めていくという小説にはない詩の面白さかもしれません。
※写真は那覇市郊外の道路
(河野俊一) 6.24

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