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大分県詩人連盟

〇男と女

今日は秋分の日です。日中の暑さはまだまだ衰えなくても、日の出の時刻は
すっかり遅くなってしまいました。大分では、朝の5時半はまだ真っ暗です。
さて、今日はサスペンスドラマでもよくある話です。
弁護士が、トラックの運転手が凶悪な事件を起こしたと言い、聞き手が
「なんてひどい男だ」と思ったときに、実は犯人は女性なのだと打ち明けて、
ステレオタイプな思考回路を指摘するという話。これに引っかかりそうに
なった人も多いのではないでしょうか。話の展開の中で、犯人の趣味が
釣りであったり博打であったりということで、釣りや博打は男の趣味である
と思わせる、二重の仕掛けが施されている場合もあります。
詩誌『ここから』第15号の平木たんまさんのエッセイ「二人目の女」を
読んだときに、ふとそんなことを思い出しました。離婚の原因が、
タイトルのように二人の女を持つという設定や、「男の甲斐性」が文学では
森鴎外の「雁」、流行歌では春日八郎のヒット曲「お富さん」にも及んでいる
と聞けば、読者は「ああ、男って動物は」などと思ってしまいがちです。
でも昨今あたりを見渡せば、女性の方が二股をかけたり、巧妙な仕掛けを
作ったりということは、枚挙にいとまがありません。
かつて私は個人誌のあとがきに、このようなことを書きました。
「市報七月十五日号にも「母子寡婦福祉会中期パソコン講習会」同八月一日号にも
「母子家庭自立支援給付金制度」についての記載があるのだが、まだどこかに
「両親が揃っていない家庭」とは「母子家庭」のことであり、離婚で苦しむのは
女性である、というステレオタイプの感覚が残っているのではないだろうか。」と。
13年前の記述ですから、21世紀になってのことですが、まだこのような
意識だったのです。やっと最近は、「ひとり親家庭」という言葉が
定着しようとしていますが。
(河野俊一)23.9.23

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〇ことばはごちそう182

昔の10年の進歩が今では1年で、と言うと、1年どころか数週間あるいは
ものによっては1日かもしれない、と言われました。いまやその進歩に、
ついて行きにくくなった自分がいるのですが、新しいことをやってみなければ
ますます置いてきぼりにされてしまう、という声も自分の中から聞こえてきます。
まず「ズームでの参加」と「有料配信の視聴」から経験して模様と思うのですが、
うまくいくのでしょうか。では今週も、詩誌の感想です。
◆口語詩句投稿サイト誌『口語詩句奨学生年鑑2023』
(公益財団法人佐々木泰樹育英会発行)
「ワンフォーオール、オールフォーワン」は、ラグビーのチームプレイを
表す言葉として定着した感があります。その対極のような2行の作品が、
清水将也さんの「誰しもが街の一部でありながら/誰を欠いても成立する街」
です。また杉原健吾さんは、ここにもユーモアがあると発見します。
「(バカマヌケ)/手話の喧嘩で/(アホノロマ)/忍法をかけ合う河川敷」。
◆詩誌『子午線』134(吉田美和子さん発行)
巻末に、この春上梓された丸田一美さんの詩集『青い狼』についての
特集が組まれていました。水無月科子さんが「丸田一美の詩集『青い狼』を読む」
の中で、「詩集に作者のプロフィル(ママ)もないので」と書かれていましたが、
実は私も奥付に生年や住所を書いた方がいいのではと、礼状に書いたことです。
同じようなことを花潜幸さんも書かれていましたが、やはり背景がわかった方が
読解の手助けになるということだろうと思います。どういう世代で、
どんな環境で暮らしているのかということが、作品の手掛かりになることも
多いと思うのです。ともあれ、丸田さんの詩集に関して5人の同人が
心のこもった評を寄せています。あたたかな同人の人間関係が、伝わってきます。
◆詩誌『波』23(水島美津江さん発行)
8月12日のブログに、村山精二さんの訃報をお書きしました。『波』に
詩「休日の午後」を送信後まもなくの訃報とのことですので、この作品が
絶筆になったのではないかと思います。詩の舞台は、入院先の病室です。
土曜日は治療がないのでラジオで野球中継を聴いているのですが、
9回裏2死満塁で、「ここまでノーヒットの/7番バッター」が、
「いのち輝く大声援」の中で、場外満塁ホームランを打ち、最終連に
繋がります。その最終連は、2行です。
  土曜日の気だるい病室
  あとは静かに夜を迎える
ご自身の病気に対して、どんなに満塁ホームランを期待されていたことでしょう。
胸の詰まる思いがします。
神山暁美さんの「鷺」には、田に水が入る時期になると、寒の戻りかと
思うほど、村の気温が低くなることが書かれています。これなども、
本当に生活の中でしか感じることのできない変化でしょう。農村での暮らしが
遠くなっていく今日、農村を頭でしか理解できていない私たちにとっては、
これもひとつの発見だといっても過言ではないかもしれません。
(河野俊一)23.9.16

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〇ことばはごちそう181


大阪御堂筋
おはようございます。第5回大分県新人詩人賞の締め切りが迫っています。
要項は以下の通りです。ご応募をお待ちしています。
・締切は9月25日(月)必着です。
・未発表の詩2篇(wordファイル形式にて、1行20字×140行以内。
原稿用紙書式で7枚以内);2作品は、いずれも用紙の1行目から
書き始めること;タイトルを最初の行に書き、1行空けて本文に入ること)。
・詩集未発行で、締切日の時点で40歳未満の作者に限ります。
・大分県在住もしくは大分県の企業・学校に勤務・在学している方に限ります。
・各作品にタイトルを付け、別紙に郵便番号、住所本名、性別(書かなくても可)、
年齢、電話番号を明記してください。
・メールによる応募とします。宛先アドレスは、onorikako0111@gmail.com
・表彰は最優秀作品1作/賞状及び賞金2万円(未成年者は同額の図書カード)。
・発表は詩人連盟ブログおよび、大分県詩人連盟会報「いちご通信第36号」
(12月30日発行)でも行います。 
・選考は河野俊一(日本現代詩人会所属、日本現代詩歌文学館評議員)です。
・問い合わせ先は小野里佳子 onorikako0111@gmail.comまで。
では今日も、詩誌と詩集の感想です。
◆総合詩誌『詩人会議』9月号(詩人会議発行)
冨岡悦子さんのエッセイ「多様性尊重社会への途上で」は、エッセイというより
むしろ論考として、深く考えさせられました。金子みすゞの「みんなちがって、
みんないい」が、本来の自己肯定として捉えられるのではなく、多様性社会を
生きる上での切り札として使われているのではないかという疑念を論じています。
その言葉を使えば「他人を傷つけることもないし、自分も傷つかない」からです。
冨岡さんは、朝日新聞に伊藤亜紗さんが書かれた「他者と関わることを避け、
事なかれ主義に陥る現代社会の傾向について述べていた」ことを紹介し、
対立意見に思考を停止させ、自分の意見の形成訓練を怠ることに懸念を持ちます。
多様性をどうとらえてどう教えるか、教育の難しさにも直面しています。
◆詩誌『扉』29(扉の会発行)
武重知加子さんの鋭い人権感覚は、安易な哀れみを許しません。詩『防御』では、
「可哀そう」を連発する人に「憐憫と励ましが善意だと信じている」と
反省を促します。そしてそのように懸命に生きている今を、
「いろいろあったよね で始まるとりとめのなさと/
いろいろ大変よねの最終確認の曖昧さの間」だと定義します。
今の前にも後ろにもあるのは混沌だけだ、というのが
私たちの人生なのかもしれません。
◆詩集『荒野の眼』築山多門さん(土曜美術社出版販売)
警察官だった父親から譲り受けた、古い革鞄の思い出を書いたのが詩「革鞄」です。
大学時代に女子学生が「私のお祖父さんが持っていたものと似てるの」と、
触ってさらに中を見ます。そして築山さんがご存じなかった「秘密の隠し場所」
を探り当てるのですが、ファスナーを開けると、中から春画が出てきたのです。
ずっと「恥ずかしい思い出」だったのが、古希を過ぎた築山さんは思います。
「親父もやるもんだ」と。
詩「目玉焼き」もまた、微笑ましい思い出です。「好きなものを最後に取ってお」く
妻が、目玉焼きの黄身を残していたところ、小学生の息子が「いらないんだったら
ボクにちょうだい」と箸を出します。築山さんが、それをとがめるのです。
「駄目だよ/お母さんは好きなものは/最後に残しておくんだから」と
「ほろ苦い目玉焼き」になってしまったとお書きになりますが、どうしてどうして。
やさしさに満ち溢れた素敵な思い出として、息子さんの心にも残ったことでしょう。
※写真は大阪御堂筋
(河野俊一)23.9.9

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○会員の詩~戸次 椋耶

土曜日の早朝は、BSで半世紀前の「兼高かおる世界の旅」の再放送を
見ながらこのブログを書くのが習慣になっています。この番組は、
半世紀以上前に放送されたものなのですが、今見ても学ぶことの多い番組です。
確かに街並みや、登場する人たちの服装などは古めかしいのですが、
番組で紹介されるその土地の人々の知恵や愛情は、今にも通じるものです。
また、この夏は太平洋の島々(今朝はトラック諸島とカロリン諸島)を紹介して
いるのですが、ここでも日本が太平洋戦争に巻き込んだ歴史や、戦跡なども
きちんと紹介しています。そして、科学技術の発達とその弊害や、環境問題にも
なるほどと思わせるコメントを残しているのです。50年経っても、なお
見ごたえがある番組です。今日もいい言葉を、キュートな姿の兼高さんが紹介して
くれました。「結局幸せっていうのは、第三者が決めるものではないんですね」と。
さて今回の作品は、2022年12月発行の詩人連盟会報「いちご通信」の
34号に掲載した戸次椋耶の作品です。

ナビゲーション             戸次 椋耶

「目的地までおよそ25kmです。およそ30分くらいかかります」
行き先を入力したカーナビが無機質に告げる
右足のアクセルも、左足のクラッチも
結局のところ、目的地までの過程にすぎない

「この先、5kmほど道なりです」
流れる風景も
ただ通り過ぎるだけで
通過する場所に意味はない

音声に任せてさえいれば
何も間違えず
寄り道せず
一直線に
問題なく目的地に辿り着く
無駄を省き、最短で

ナビだけではない
そのうち、小説や絵画さえも
機械の言う通りに手を動かすだけで
作品として成り立ってしまう
詩さえも例外ではない
そのうち、人の手さえ必要なくなる

「次の信号を左です」
信号で止まると
右手に喫茶店が見えた
予定の時間まで少し余裕がある
目的地は、もう近くだ
私はハンドルを右に切り
喫茶店へ向かった
回り道こそが
今の私には必要だった

(河野俊一)23.9.2

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〇ことばはごちそう180

詩集の奥付に連絡先を記さないというのは、なんらかの美学なのでしょうか。
この欄にも以前書いたと思うのですが、お送りいただいた詩集を拝読し、いざ
御礼状を書く段になったときに、著者の御住所がわからないことがあるのです。
詩集は、開封したその時にすぐ読了できるものではありません。したがって、
読み終えた時には、封筒はすでに捨てられてしまった後ということがあるのです。
先週もそのようなことがあって、本当に残念に思ったことでした。
では、今週も詩集と詩誌の感想を書きます。
◆詩誌『いのちの籠』第54号(戦争と平和を考える詩の会発行)
いつもの号よりも薄くて、編集をされた甲田さんはご不満かもしれませんが、
内容的には濃い号でした。佐川亜紀さんのエッセイ「池間島詩人と
アフガニスタン亡命詩人からの言葉」は、アフガニスタンから亡命した
ソマイヤ・ラミシュさんが、アフガニスタンでは詩の表現さえもが
禁止されているという訴えを紹介しています。そして北海道の柴田望さんが、
そのソマイヤさんのメッセージを発信し始めたことなども、書かれています。
詩作品としては、奥津さちよさんの「今なら もっと」が、心に残ります。
血が止まらないミヤタ君(血友病だと思います)と、紙芝居のおじさんである
ミヤタ君のお父さんとの思い出を描きます。ミヤタ君のお父さんは
水飴を買った子に紙芝居を見せるのですが、買えなかった子にも途中から
近くに来るように声をかけてくれる優しい人でした。ミヤタ君は亡くなって、
紙芝居の時代も終わった今「今なら もっと 水飴を買えるのに/
もっと 気持ちがわかるのに」とそのころを振り返るのです。
◆詩集『二の舞』上手宰さん(版木社)
あとがきに書かれた、幸福な人にも詩が書けるという励ましは、毒がなくても
詩が書けるという励ましにも繋がってくるように感じられました。
上手さんの詩には、懐かしさと優しさと、温かさが満ちています。それは
詩「二波」にもありますように、あふれるべきものを真に御存知だからなのだと
思います。たとえ詩「二流」に書かれているように、愚かで劣ったと
みられているものであってもです。
「二列」も好きな詩です。「なぜだかわからないけどこの世にやってきました」
というこどもの明るい活力こそが、少子化問題を抱える社会に見逃されては
ならないものだと思います。「二袋」「二歳」は、胸にしみました。
かつて夫が妻に送ったラブレターを描いた「二秘」も、また。
◆詩集『これからは』大工美与さん(詩遊社)
詩誌『詩遊』に所属される大工さんの「初耳二題」については、『詩遊』で拝読して
7月8日のブログでもご紹介しましたが、その作品も収録された詩集が届きました。
健康や家族や加齢に対しても、大工さんの詩からは、生活人の等身大の姿が
見えてきます。「父という人」も、お父ちゃんを取り巻く人たちのあたたかさが
伝わります。ところで大工さんが曲名不詳と書かれた「ペンギン、ペンギン
可愛いな」の曲ですが、あれはサンスターのコマーシャルソングですよね。
私も今でも歌えます。「しいちゃんの参観日」では、心に引っかかっていた
気になる思い出、「ぼける」のユーモアといら立ちも、印象に残りました。
「CCU」では、入院検査の前夜に眠れないことを訴えると、看護師から
「眠らなくてもいいですよ」と。そうか、この返答もプロの愛情なのですね。
(河野俊一)23.8.26

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